今年のことは、今年のうちに。2023

去年はこれ。 ↓ ↓

tare445.hatenablog.com

「青天霹靂」ってこういう時に使うんだろうなぁ、と回らない頭でぼんやり考えたのはたぶん2回目。前回は2019年1月27日、嵐の活動休止発表日。推しは発表から卒業まで1年半の猶予をつけた。私は、嵐の時に2年に渡って経験したあの濃くも辛いカウントダウンがまた1年半続くことをすぐに理解してしまった。そして「その時」を迎えるしんどさも、そのあとに訪れる喪失感も。

 

今度は耐えられないだろうなぁ、と思った。

この1年はまさに「終活」だった。意識してだんだんと推しと距離を置き、「誰かを推す」以外の自分の居場所を見つけようと習い事で忙しくしてみたり、スマホゲームをしてみたり、毎月1冊の文庫本を読むことをノルマにしてみたり。

 

でも、私の気持ちは全然晴れてくれなくて、そこに慣れない職場、自分や家族の体調不良、それらが重なったことを起因とするメンタル不調と、まぁ、ガタガタな1年だった。

 

毎年掲げてる「今年の目標とする1文字」は丁寧の「寧」。漢字自体には「安らかに落ち着いている」という意味があるそうで、日々の暮らしにも、自分の心にも、丁寧に心落ち着けて過ごしたいと思っていた。

 

習い事の演奏で今まで雑に仕上げてしまうことが多かったので、それについてはずっとこの一文字を思い出して落ち着いて向き合ったし、慣れない仕事でパニックになりそうなときもぐっとこらえてひとつずつ片付けていくことを意識していたつもりだ。忙しい月末を乗り切ったらコーヒーショップのお気に入りのハニーオレで自分を癒してあげるのも習慣になりつつある。

 

推しが卒業で生まれ変わるのと同時に自分も新しい自分に生まれ変わりたくて、いろいろやってはみたが、結果をいうとやっぱり自分は自分だった。誰かを推すことにパワーを使いたいし、推しのことばや活躍に背中を押されたい。他人との直接のコミュニケーションが苦手な私は、間に画面だったりステージと客席の高低差だったり、距離が少しある方が対象と関わりやすいらしい。

 

つい先日あるライターの方が「推しは出会うのではない、見つけるんだ」と書いていて、衝撃を受けた。悲観して内内に引きこもっていたら何も見えない。自分から動いてアンテナを張り巡らせて推しを見つけるんだ。

それがアイドルなのか、芸人なのか、新たな趣味なのかわからないけど動いて動いて何かを見つけに行く、掴みに行く。

うん、来年の一文字は「掴」でいこう。来年の今頃何かを掴んでいますように。

 

 

 

※追記※

いい歳して推しの卒業「ごとき」でメンタルガタガタなのは、某事務所の諸々が本当に自分の納得のいかない方向にしか動いていないことがめちゃくちゃ大きいです。コロナ渦の時から思ってたけど、発言力のある人・集団のことばに日本人みんな振り回されすぎ。そこに真実かどうかの検証はない。同じ人が昨日「シロ」と言ってたことを「クロ」と言い出せば大衆はそれを「真実」として信じ込んでしまう。こんなことが通ってしまう国は危ない。そんな不安をかき消してくれるのがアイドルの笑顔だったのに、今回そのアイドルたちが直接は関係ないのに追い込まれてる。別事務所の推しは卒業。それで「逃げ場」を失ってしまったんですよね。明るい日本になりますように。切に。