「褒めて…」。

ここ10日ほど、仕事中ある曲のあるフレーズがずっと脳内再生されてる。

 

【MeseMoa.】殺生石セッション [Sesshoseki Session]【9th single】 - YouTube

 

この曲の最後のセクション3:15ぐらいからの「褒めて」がずっと頭の中で鳴っている。仕事が単調で退屈な作業であればあるほど、夕方近く疲れが身体や心を蝕めば蝕むほど、歌唱主はこのフレーズを私に訴えてくる。

 

他人と比べて特に秀でたもののなかった私は、両親に褒められた記憶がない。4月生まれで体格も大きかったので同級生より早くできるようになるのは当たり前。三人兄弟の一番上で弟妹の世話をし常に「しっかり者のお姉ちゃん」として振る舞うのも当たり前。できないことは叱られるけど、できるのは当たり前の子供時代だった。

 

社会に出れば仕事の褒められるべき出来は「給与」であったり「出世」という形で得られるのだが、いわゆる氷河期の最底辺の世代なので職が見つかっただけでもラッキー、評価や待遇なんて気にすることさえ許されなかった。それから何年も経って結婚し家庭をもつが、外でフルタイムで働いて家事育児ワンオペでも労ってくれる人はいない。

 

生まれてウン10年、今さらになって誰かに「褒めて」欲しい願望が自分の中にあったことにこの曲を聴いて気付かされてしまったのである。実は自分の身体で他人に触れられて一番「弱い」ところは頭頂部だったりするのも、実は褒められたいという願望がそこに集中しているからなのかもしれない。

 

だからといって、この歳になってさすがに堂々と「褒めて」とは言えない。でも、この曲の主人公のように、命を全うする時誰かに「がんばったね」「ありがとう」と声をかけてもらえたら安心して旅立てるような気がした。

 

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この、MeseMoa.の9th シングル殺生石セッション YouTube広告展開などプロモーションもよかったのかもしれないが、ファン以外の大勢の方も触れてくださり「よかった」とのコメントを残している。映像の世界観と綺麗さ、和を取り入れた楽曲そのものの良さ、パフォーマンスの迫力など、魅力はたくさんあるので納得ではあるのだが、物語の主人公に自分を重ねた人もひょっとしたら少なくはないのかもしれない。

 

日本人は褒めるのも褒められるのも下手な人種であると思う。重箱の隅をつつくように欠点を見つけて素直に「すごい」と言わない。せっかく他人から良い評価をもらえても謙遜する。喜べば「調子に乗るな」と釘を刺される。何とも息苦しい。

 

今、世界が大きく変わっていくさなかにある。

様々な生き方、考え方を認め合って生きられる世の中になりますように。